「こうでなければならない」をやめる。

2019/03/14

悩み事が頭から離れない。

1年後の自分が今のように暮らせるか不安。

相手が自分をどう評価しているのか気になって仕方ない。

長女(長男)なのだから、将来はこうしなくてなならない、ああしなくてはいけない。

自分のことは自分で解決しなければいけない。

深ーく深ーく考え、「私は意外とのんきでマイペースなんです」と言いながら心の奥深くでは、てんこ盛りの頭痛のたねを押し込んでいる。

そんな方が多いです。

そういう人は「しっかり者」と言われると嬉しいです。「強いね」と言われるともっと頑張ろうと感じます。

その中で心が悲鳴を上げ、身体反応(偏頭痛、身体の痛み、不眠、モヤモヤ感)が出てきて医療機関のドアを叩き、検査結果は異常無し。

「一体、私の身体、どうしちゃったのかしら」と、さらに体調に不良を来たしていく。

かく言う私もこの経験者です。自分で言うのも何ですが、生真面目な性格で「こうでなければならない」代表者、みたいなものでした。

西洋医学、東洋医学、通いに通った時期がありました。

そうこうして3年、ある医師に言われた言葉がすとんと腑に落ちました。

「箱にね、水を満タンに入れたとします。横に揺すったら水はバシャバシャこぼれて大変ですよね。大変なのを沈静化するには、その箱をそーっと置いておくことなんですよね。そーっと置いておくっていうことは、深入りしない、なんとかなる、と楽観性を持つということ。もう少しいい加減に生きること。」

こう話したのは、神経内科の医師・・

あーーー、それそれ、なんとかなるんだよねえ。今までもなんとかなってきたんだ。いい加減に生きると、この苦しみから解放されることに繋がるよね。と、私。

真面目な人は、   いい加減に生きること=罪悪    みたいな感覚です。

しかし、自分の価値観では無く、何かと比較して、あれもこれもなんとかしなくちゃ、と抱えることが、先に述べた、医師の「バシャバシャこぼれて大変」に繋がります。

人それぞれ、抱えられるストレスの容量は違います。

500mlの人も居れば、1000mlの人も居る。2000mlの人などは、500mlの容量の人に「こんなことくらいでマイってるのか?」なんて言います。

そこで、「私は私、人は人。そう言われたから、私は出来ない、もっと、もっと頑張らなくちゃ、なんて思う必要は無いんだ。私の限界はここまで」

と思うこと。

誰かと自分を比較して、または比較対象を探して、

「こうでなければならない」

を止めるのです。

「そんなこと言っても」

・親の老後はきっと私が看なくちゃ行けないと思う。

・1年前に亡くなったペットへの対応がもっと違っていたら今も一緒に暮らせていたかもしれない。

・同期がどう見ても自分より成績優秀で、上司からの信頼も一目瞭然で悔しい。

など、喧々諤々延々と自分と意見を戦わせる。これが「バシャバシャこぼれて大変」です。

ある程度考えて、今答えが出ない、と感じたらその考えた問題を横に置いておく。他者の評価によって自分の価値を決めない。

【こうでなければならない】

は、人からの評価、そして、自分自身が「真面目で出来る人、完璧で居たい」にこだわりが強い人に表れると言えます。

もう離しても良いのです。【こうでなければならない】自分。

最終的に自分を評価するのは自分である。

会社での評価は、給与という対価をいただいている社会的責任の中で先に述べた、自分のストレスの容量を認識し、うまく付き合っていく位に過ごすこと。

働いていない自分を責めるなら、是非、天災を免れて命ある今に感謝をしてくだい。

身体が弱く病院のお世話になっているならば、携わってくれている人たちに感謝をしてください。

【こうでなければならない】は比較対象が存在するから思うこと。

今の自分を受け入れて認めてあげることです。

そろそろ暖かくなります。平成は天災が多く悲しいことが沢山ありました。

生きている自分が幸せで有り、有り難い唯一無二の存在なのです。感謝ですね。