「私が10年以上同居して両親を介護してきました。婚期も逃しました。 数年前に父を亡くし、2ヶ月母を見送りました。介護の人生でした。姉が居ますが、介護には知らぬふりで、結婚しマイホームを建てて幸せに暮らしています。 こんなご相談がありました。確かに理不尽な話しです。 承って、感じたのは、世の中の理不尽さ。 そしてそれ以上に感じたのは 何故、いつの世もこの問題が起きるのか? 【認めて欲しい】という感情なのです。 「大変だったんだろうな、お前にばかり辛い思いをさせてすまなかった。本当に今までありがとう」 心からそう言われたらこの納得出来ない重たい感情はスーっっと楽になるのです。 こうい方は一般的に「真面目で几帳面」な性格です。 介護が終わった今、自由の身です。これからの人生、憎悪の感情に支配されて生きるのは勿体ない。 最も認めてあげるべきは、 【自分が自分を】でした。 そこに気づけたら私が「我慢しろ」を思う必要は無くなります。 他者に切望・期待した場合、望んだ量だけ、失望感、もしくは絶望感に変わる場合があります。 それを正しく解釈しないと、遺産相続の揉め事は今日も何処かで起きるのです。 自分が自分を認めてあげることが出来て、自分を好きになれたなら、その次は、 本当にお疲れ様でした。幸せになってください^^
姉に、親の財産を半分よこせと言われましたが、理屈は分かっているけれど親の面倒をしてきたのは私です。
いくら2人姉妹だから半分と決まっているとはいえ、理不尽です。納得出来ないんです」
但し、キリキリして握りしめているのは、ご両親が一生懸命蓄えた財産なのです。「私」の蓄えでは無いのです。
法律でバッサリと切り捨てられた相談者は心の消化不良を起こしたまま駆け込んできた、そんな感じでした。
どれだけ介護が大変だったか、どれだけ孤独だったか、ひたすらお聞きました。
泣き続ける相談者。
「私の気持ちを分かってくれないんですか?私は間違っていますか?介護は自己犠牲で成り立っていたんですよ、1人だったんです」
(法律で寄与分はプラスされてもそんな高額ではない)
「我慢しろ」でした。
親が一生懸命蓄えた財産は(人質みたいなもの)、この言葉で半分こは惜しいと思わなくなるのです。
自分で貯めた財産だったら、どんな言葉マジックも効かない人でも大丈夫。
あくまでも、親が蓄えた財産だから半分こ出来ることになります。
認めてくれたのだから。
そう言ってくれたその時から、昨日まで全然感じなかった花屋さんのお花が素直に「きれいだなあ・・」と感じれるようになります。
万が一、そのような方が親が介護を必要としている時に手を差し伸べなかったら、一生罪悪感の中で生き、自分を責め続けます。
否定的な思考で生きて行くことになりかねません。
要は、自分が親を看取ったいうことはその後の人生において正解だったわけです。
天寿を全うされたご両親もきっと感謝の気持ちで旅立たれたでしょう。
もし、お姉さんが認めてくれなくても、理解してくれなくても、やれるだけのことはやった、と後悔の無い人生を歩める時がやってきました。
誰かのため、ではなく、自分のために時間と力を使い、疲れたら休む、が可能になりました。
大切なのは、他者の誰かに認められなくても「私が私」を認めることです。
そう解釈出来たら、人質はそんなに惜しく無くなります。
「人は人によって生かされているんだなあ」
「自分のため、には限界があるけれど誰かのために人は頑張れるんだなあ」=誰かのために頑張ってきた私
と客観的に今までの自分を振返ることに繋がります。
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